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『シェアリング』について ~共有すること~

 

 

3年

6月18日は、大阪北部地震からちょうど3年が経過した日となります。

筆者も震源に比較的近い所に住んでおりました。その極めて忙しかった一日を、今でも鮮明に覚えています。

時刻は8時前、当時はまだ低学年だった子どもと一緒に玄関を出ました。子どもと別れ、子どもが10メートルほど歩いた時、突如地面が強く大きく揺れました。初めて体験する地震に、何が起きているのかも分からないままに怯え、泣く子どもに一目散に駆け寄り保護しました。また、もう一人の子どもは先に登校していたので、そのあしで学校へ駆けました。既に学校へ着いていたのでその子は教職員の方々の指示の後、無事に保護しました。発生の瞬間、頭に浮かんだのは我が家の家族の安否であり、また近くに住む実家や親戚の安否でした。幸い妻もすぐに帰宅ができましたが、離れて住む親族には矢継ぎ早に連絡をしました。

電話回線が繋がらないこともあり、ネット回線でのLINEアプリを使いました。LINEはかなり多くの方が利用しており、一時的に回線がパンク状態となったこともあり、筆者はその時複数のSNSアプリを持っておくべきだとも感じました。

実兄は発生時大阪駅におり、鉄道網が麻痺状態だったので帰宅できませんでした。帰宅するため、おびただしい人で溢れかえるバスターミナルに並んでいたそうです。LINEで連絡を取り合い、すぐに動きが取れる筆者が車で実兄を拾いに向かいました。

その行きと帰りの間に、道路交通が麻痺するまでの一部始終を見ました。こんな時だから、と思いつく限り出来うる限り車で拾える人を拾い、運転しました。幸いにも最も不安だった、震源地のすぐ近くに住む携帯電話を持たない祖母へも、会いに行くことができました。そして帰りの車、自宅まであと500mもない橋の上、その橋は全長100mほどの長さなのですが、このタイミングで道路交通が完全に麻痺しその後なんと1時間強かかって帰宅しました。

さながらライドシェア

大阪北部地震が起こって3か月と経たずに、今度は非常に強力な台風が近畿地方を襲いました。地震の時によく取り沙汰されていた、屋根に覆ったブルーシートが次々と飛ばされていたのを覚えております。さらに今なお続く新型コロナウィルス感染症の大流行と、災厄が続いております。

さて、今回のテーマはシェアリングであります。前述の大阪北部地震の際に、筆者はさながらライドシェアのような事をボランティアでしておりましたが、その時は必死で何も感じなかったですが、非常に効率的な手段であったように思えます(ただしビジネスではなく、また直接声をかけるというアナログな方法でした)。

シェアリングエコノミーとはごく簡単に述べると、モノやサービス、スキルなどを個人間で、インターネットのプラットフォーム上で取引を行うビジネスモデルであります。

シェアリングエコノミーは近年、ますます拡大を続けております。移動手段をシェアするウーバーや、空間をシェアするエアビーアンドビーは、今やかなり有名な企業ですね。

次回以降は、シェアリングエコノミーをさらに掘り下げてお話していきたいと思います。

 

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